猫と楢山節考

16歳の猫のユーロが逝きました。
普段は健康的で持病もなく、ずっと元気に過ごしていたのですが、
ある日急に具合が悪くなり、約一週間で亡くなりました。

とても穏やかに眠ったまま、
ちょっと伸びをしてロウソクの火が消えるように最後を迎えました。

具合が悪くなってすぐに
この猫は死ぬ決意をしたと感じ
どうしてそう思ったのか自分でもわからないし、
もちろん色々なケアを試したりもしたけど
結局は自然に、本人の望むようにさせてあげたいと思いました。



そこで思い出したのが「楢山節考」
高校の時、友人がくれた文庫本。
高校生と楢山節考… そこは今は置いといて(笑)

私は中2の時に父親が急逝しているので
楢山節考の死を選ぶおばあさんのあり方を
(貧しさゆえに自ら山に置き去りにされる事を望む)
その時は充分に理解できずにいたと思うのです。
死は、失いたくない人を暴力的に奪っていくものだと思っていました。

人生、長く生きているとたくさんの死に出逢うことになります。
祖母や祖父、親戚、そして看病の末の母の死。
みんな死んでほしくないのに死ぬ。

でも、動物を飼っていると、彼らのあり方に学ぶところが大きいです。
生きて、死ぬ。あたりまえのこと。
潔く受け容れる。
とても自然に命のあり方を教えてくれるような気がします。

ユーロさんは、死ぬまでの一週間
普段はあまり鳴かないのに、しきりに外に出して欲しそうに訴えました。
家猫なので庭に出す時は首輪付きです。
体力もなく、痩せてきていたのに庭を越えて生垣から外に出たがって、
それは自分が最後に過ごす場所を探しているようにも思えました。

ゴハン食べない、身を隠したがる
楢山節考…

あの世界観を肯定するわけではないけど
生物は本来、覚悟のスイッチを持っているような気がして。

最後はカゴに寝かせてソファで一緒に座りながら
いつもの日常のようにTVをみてくつろいでいる時に
スゥ〜っと逝きました。なんか立派でした。

今は彼女の不在と共存しています。
センチメンタルではなく
いるけどいない感じを味わっています。

ちなみにユーロさんは台東区池之端生まれ
名前の由来は、サッカーのユーロ2004の開幕の前日に拾ったから。
鼻の下のチョビ髭から「マリオ」になりかけましたが、女子だったので。
マイペースでちょっと変わった猫で、私のバディとしてはぴったりの猫でした。

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